助産師キャリアディベロップメント研究センター

助産師キャリアディベロップメント研究センター会の紹介

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会の主旨

実践できる力をもった助産師の育成することを目的にしています!!
昨今、産婦人科医師不足を背景要因として、地域住民に質の高い産科医療を提供することが、困難になってきています。その中で、産科医療の将来展望を現実的に考えている産科医師からは、ローリスクの妊婦の健診、産婦の分娩介助、産後の女性と新生児の健康診査などは、本来助産師の業務であり、助産師が自律して役割を果たすべきとの提案がなされてきました。すでに「助産師外来」、「院内助産」という形で、助産師の自律的活動が展開され始めています。
これまで助産師のキャリアアップは、管理職か教員などに限定されてきました。これからは、プロフェッシンとしての実践能力がキャリアとして承認され、社会的にも評価されてくることでしょう。プロフェッションとして自他ともに承認されるために、生涯学習として主体的に学び、プロフェッションに求められる資質、知識、技術を修得していきましょう。
本研究センターは、助産師のキャリア開発のために以下の学習目標の下に、カリキュラムを組んでゆきます。

(1)妊娠マネージメントプロセス:助産師外来の運営と実践
(2)出産マネージメントプロセス:院内助産の運営と実践
(3)母乳育児・子育てマネージメントプロセス
(4)臨床指導者養成

ご挨拶

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エナレディースクリニック
宿田 孝弘



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都立梅が丘病院
柳原 真知子
私が助産師としてスタートを始めたのは、東京都立母子保健院の産婦人科病棟でした。当時、都立病院には産院と呼ばれる産科と小児科を中心とした病院が、都内に5つ程ありました。母子保健院もその1つであり、NICUと乳児院が併設されていました。出産は年間1500から20000例あり、12月の出産の3分の2を介助したこともありました。
新人として入職した私が驚いたのは、「超」がつく程、助産師とくに中堅の助産師のパワーが強く、医師も一歩さがる状態の施設でした。医師は、出産時ナートと異常時以外呼ばれていませんでした。そのような環境の中で育ったので、助産師の自律は体感で覚えました。

当時、小児科医師が院長で、しかも母乳育児推進の医師だったので、母乳外来の開設は、追い風の勢いでなされました。母乳外来は、助産師・産科医師・小児科医師それに心理相談員のチームが組まれ、母乳栄養推進委員会として運営されていました。どのようなチームであったかは、図1の通りです。母乳外来は都立病院として初めての試みであり、その後もLDRの開設など新進気鋭な意欲に満ち溢れた病棟でした。医師と共に創造的活動をおこなってきましたが、その関係はバラ色かと言うとそうではなく、激しくののしりあう喧嘩もありました。でも不思議なのは、どんなに喧嘩しても、人間関係が崩れることはありませんでした。母子保健院は、自律した助産師を育てる揺籃だったかもしれません。
母乳栄養推進運営委員会の構成と運営体制
また、実践のみならず研究も医師のバックアップもあり毎年おこなっていました。毎年、母性衛生学会に発表し、数年置きに論文の投稿もしていました。今から25年以上の前の研究は、見ると恥ずかしくなるものもありますが、研究助成を2回受け誇りに感じています。
13年間勤めた産科病棟から昇格転勤で、児童精神科の専門病院である都立梅が丘病院に配属となり、子どもたちとの出会いは、助産師とは何かがを根本から問われました。出産で喜びに満ちて退院していった子どもたちが、ボロボロに傷ついていたのです。この子どもたちとの出会いが、私に子育て支援を考えるきっかけを与えてくれました。

その後教育職に付き今日にいたりますが、まだまだ臨床経験の方が長いです。そのためか、実習にでるとつい教員より助産師をやりたくなります。しかし、教員は手を出さないでとの実習施設もあり、不全感に落ちっています。いつも教育と臨床とが、連携して助産ケアの向上が図れればと思っています。
教育職にある時、研究で2ヶ月程ホスピス病棟と一般病棟との比較のために終末期にある人々と出会いました。大学病院では死者が物のように扱われていましたが、ホスピス病棟では、亡くなった方の尊厳が大切にされていました。死という現実と向き合っていた方々から聞くことができた語りは、助産師としての自分に生命の深さを考えさせてくれました。
いろいろな経験をしてきましたが、これらの経験を生かし、北海道の女性・子ども・家族が、生き生きとした健康生活が生活送れ、楽しい子育てできるのかです。そのために助産師が、もっと気張らねばと思います。助産師の端くれとして何か役に立てればと考えています。
研修会でみなさまとの出会いをお待ちしています。


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旭川医科大学医学部看護学科
黒田 緑
現在旭川医科大学医学部看護学科で母性看護学および助産学の教育を担当しています。実践の学問領域では知識と臨床実践を繋ぐ演習の部分がとても重要であると考えています。
大学教育に携わり17年になりますが、自分の精神的スタンスは臨床にあります。日赤医療センターでは自然出産を、また、北里大学病院では管理出産を数多く手がけました。学生への口癖は「技術と看護に対する姿勢は車の両輪、どちらが欠けても向上しがたい」です。


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林 佳子
私は助産師として働くうちに、いつのころからか助産師が出産を迎える女性や家族にできることはこんなものなのだろうか、もっとケアができるはずではないかと思うようになりました。かといって「私ができます」と自ら名乗り出てやれるほどの自信も実力もない、変革をしていく行動力もない、落ち込んでいく自分を感じ、葛藤した日々の中でこのままじゃいけない、立ち上がらなければという思いがいつしか強くなっていきました。

今は産科医師不足の問題から「産科医師の代わりに助産師が役割を」と助産師は注目されています。時代の中で副産物のように発生した社会からのニーズに対して、助産師自身はその棚ぼた式の役割の見直され方に甘んじてほしくないと思います。産科医師の代わりに正常妊産褥婦を担当し、正常経過から逸脱した妊婦と胎児を発見して医師につなぐだけが助産師の役割ではないと思います。助産師が担当したからこそ提供できること、例えば妊娠期の体づくりや出産に向けての心の準備、育児に向けて親になることへの支援、その過程で生じる女性と助産師の信頼関係の形成など、こまごまとした生活や心理面、社会的な面でのサポートを提供するプラスアルファが大切だと思います。新たな家族を迎える女性とその家族のサポートを地域に根ざした助産師が行えれば、どれほどの安心を提供できることかと思います。サービスを受けた女性や家族から、助産師ならではだと評価を受けられる存在になりたいものです。

自分たち助産師がその専門職としての成長の最高到達点をどこに置くかによって、将来の助産師像は変わっていくことでしょう。現状の解決には相当のエネルギーが必要なこと、解決する課題が山積していることは重々承知です。そして課題は、全助産師に共通することと、各助産師の個人の状況と場の状況によって特殊なことと両方があるでしょう。私たち助産師が自信を持って、ケアできるようになるためのスキルアップをすることもその課題の中の一つではないでしょうか。

焦ってはいけない、でも、のんびりしていてもいけない。時代と社会のニーズに応えられる助産師になるために冷静に着実に、共に今を生きる助産師の仲間たちと一緒に解決の道を探っていきたいと心から思っています。
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